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部屋に入ってきたエルフの表情を見て、彼はとっさに机の上の本に目線を戻す。エルフの表情はかなり怒りに満ちていて、不機嫌なことは容易に想像がついた。
件のエルフは、別に感情に乏しいタイプではない。それは知っている。が、ここまであからさまに怒りを見せるのは、それほどあることでもない。
基本的に、仲間のエルフはその種族の通り、温厚なほうである。ただ、「変化を好まない」というところから大きく外れているため、エルフらしさを感じないだけだ。事実、コレまでエルフが心底怒っていたのを見たのは、2回しかない。
彼は異種族が好きではないが、エルフの賢さを認めている。エルフの判断ミスで痛い目にあったことが無いとは言わないが、その判断に助けられたことのほうが圧倒的に多い。それに、彼とエルフの知的好奇心方面の好みは似ていたので、そういう意味では、仲間内で一番信頼しているといえる。
そのエルフのかなりの不機嫌な顔に、彼は暫らく最近の自分の行動を振り返ってみる。怒らせるようなことがあっただろうか。何か非があったら即座に謝ろう。このエルフは敵に回さないほうがいい。
というわけで、暫らく考えてみたがエルフの怒りに触れるようなことは何も心当たりがない。
そしてエルフのほうは無言のまま、彼の机の前にある、仲間内からは大層評価の低い、彼お気に入りのソファに座ったままである。ただ、座っているだけでも不機嫌な空気というものが彼の元までひしひしと伝わってきているので、ただ事ではないのだろう。
「アーチー」
いつもに増して低いエルフの声に、彼は内心動揺しながらもなんとか平然としたつもりの顔を向ける。実際自分がどんな顔をしているか分かったものではないのだが、ともかく、平然としているつもりだ。
「なんだ」
「あの女は何とかならんのか」
その怒りの声に、彼は暫らく考える。この城に居る女性は少ない。フィリスと、レジィナと、クレア。それからリズとその母親。とはいえ、後者二人がエルフの怒りに触れるようなことをすることは、多分無いだろう。それにどちらかと言えば、エルフのほうがリズを苦手としている。
「誰のことだ」
「お前に話に来てるんだ」
苦々しい声でエルフは告げる。フィリスだ、と内心思ったがそれは口にしない。もしかしたらエルフのこの怒りが演技で、彼女の差し金なのかもしれない。真っ先に名前を挙げた、ということを言質に取られ何かされるとか、何かを同意する羽目に陥るかもしれない。そもそもこのエルフ、あの女の味方をすることがある。
「スイフリーにしては歯切れの悪い切り返しだな」
彼の言葉に、エルフが勢い良く立ち上がった。ソファだったからよかったものの、普通の椅子であれば多分椅子はけたたましい音を立てて倒れていたことだろう。
そのままエルフは彼の前まで歩いてくると、ばん、と机を両手でたたく。
「フィリスだ!」
「ああ」
今更思い至った、というような声を出す。エルフの怒りはどうやら本物らしい。ここまで余裕の無いエルフを見るのはそうあることではない。彼は現在、自分にアドバンテージがあることに気付き、内心ほくそ笑む。これもそうそうある話ではない。
「で? フィリスが何かしたのか?」
「お前なんでもいいから今すぐフィリスのところへ行って、結婚しようだの好きだだのそういう台詞の一つも吐いてこい!」
彼はエルフのあまりの発言に、訝しげな目を向ける。
「スイフリー、自分が今何を口走っているか理解してるか? もしかしてフィリスに何か弱みでも握られたのか? 君らしくないじゃないか」
「喧しい」
にやりと笑って見せると、エルフは低い声でそれだけ言うと彼をにらみつけた。
そういう反応は彼女で慣れているので、今更うろたえたりはしない。エルフとしては珍しいな、と思う程度だ。
「ともかく、フィリスが何か君を怒らせるようなことをしたのであれば、わたしではなく本人に掛け合うのが筋というものではないかね?」
びし、と指を突きつけ言うと、彼は再び本に目を落とす。話はコレで終わり、でいいはずだ。
「そもそもお前がはっきりしないのが悪いんじゃないか」
エルフは恐ろしく低い声で、ゆっくりとした口調で話しだす。
「?」
彼はエルフを見上げる。エルフが小柄とはいえ、こちらは椅子に座っているので見上げることになるのだ。
「お前が、フィリスのことを宙ぶらりんにして放っておくから、奴の標的がこっちに変わったんだ」
「おまえ、それは逆恨みってやつだ」
彼は呆れた声を出す。少し前、彼女がエルフと女神官のことについてうだうだと意見を述べていったのを思い出す。そういうことに関してはピカイチの行動力を持つ彼女が、実際に動き始めただけなのだろう。だとすれば、下手に手を出さないほうが賢明だ。
「お前がさっさとまとまってくれれば、周りをみている意味が消えるだろう?」
エルフが、少し懇願口調になってきた。ちょっとコレは面白いかもしれない。
「そうか? フィリスは自分他人関係なく恋愛話が好きだから、自分がまとまったからといって周囲に向ける目があまくなるとは思えない。むしろ自分がまとまってしまったらこの幸福を他人も享受すべきだと考え、スイフリーへの攻撃はますます強まるのではないだろうか? わたしのためにも、君のためにも、この話題はつつかないに越したことは無いと思うが」
エルフは答えない。もしかしたら「それもそうかも」程度には感じたのかもしれない。
「それに、少し前、スイフリー自身言ったではないか」
「何を」
「わたしに、フィリスに捨てられないでよかったな、と。アレはどういう意味だったのだ? 基本的に男女が恋愛でくっつくのが幸せだという発言だろう? だとしたら、君がまとまることも、君自身が肯定しないとおかしいじゃないか」
エルフの顔つきがすーっと冷めていく。怒りを通り越して呆れたのか、それとも怒りが突き抜けて表情がついていかなくなったのか、どちらなのか見極めるのは困難だ。
「あのな」
エルフの声はどこまでもフラットで、感情をうかがい知ることはできなかった。
「それは同種族の間でのみ言えることであって、現在、フィリスが目論むわたしの状況には全く当てはまらない」
「お前誰とくっつけられそうになってるんだ?」
「分かってることをわざわざ聞くな」
確かに分かっている。彼女は女神官の名前をストレートに挙げていた。
ただ、彼は本当に女神官がこのエルフを好いているのかどうか、未だによくわからないのだが。
「スイフリー」
声掛けにエルフは彼の顔を見る。鋭い目にはっきりと不信感を募らせて。
「君自身が答えを出すべき問題だろう? わたしとフィリスの問題に摩り替えても、意味はない」
エルフ自身、そのくらいは分かっているのだろう、と彼は思う。
自分が、彼女との最終的結論をなんとなく理解しつつも未だ受け入れられないのと同じで。
「わたしは」
エルフがぼそりと呟く。
「わたし自身が人間であるか、あれがエルフであれば、多分アーチーほどには先送りしない」
彼は意外な返答に思わずエルフの顔をまじまじと見る。エルフは真顔で、別に茶化してそう言ったのではない、と直感的に理解する。
「わたしが人なら、残っている時間はせいぜい数十年。だとしたらそろそろ急がなければ行けない時期だろう。そしてあれがエルフなら、とりあえず将来を視野に入れて、互いに選別時代に入っても問題は無い。百年ほど付き合えば、その後も上手くいくかどうかの見極めはできる。もしダメでもまだ次に余裕はある。だから問題は無い。もしくは」
「もしくは?」
立て続けに予想外の言葉が返ってきて、彼は自分の脳内がぐるぐる渦巻いているような錯覚に陥りながらも、エルフに先を促す。結論がどこへ行き着くのか、ただそれが知りたかった。
「もしくはわたしがもう年老いたエルフなら。……もしかしたら悩まないのかもしれないな」
「どういう意味で?」
「秘密だ」
エルフが一瞬だけ悲しそうな顔をしたような気がして、彼は暫らく黙る。
エルフのほうも黙ったので、部屋の中には沈黙だけが存在した。
と、唐突にエルフが口を開く。
「フィリスはいい奴だ。お前認めてやってもいいんじゃないか?」
「クレアさんだって、いい娘さんだ」
「言っただろう、種族が違うんだ。確かにエルフと人はその壁を越えられるが、越えたところでいいことなんて全く無い」
「決定事項か? それとも言い訳か?」
「さあな? ただ意地を張ってるだけのお前よりは深刻ではある」
「失礼な」
彼は顔を引きつらせ、エルフを見る。エルフのほうは怒りは収まったのだろうが、今度は酷く疲れた顔をしていた。
「互いに不幸になる選択など、ナンセンスだろう?」
それだけ言うと、エルフは部屋を出て行ってしまった。
取り残されて暫らく。
彼は漸く「ああ」と思い至る。
つまりエルフは。
結末を認めるのが怖いのだ。
到達するのが、怖いのだ。
自分と同じで。
■火曜日はラブシックの日。金曜日は泡ぽこの日。
いつから? とりあえず今月だけ。先月は違った。来月は分からない。
ということで、日も変わって火曜日になったのでアップしておきます。
ますますこの話が何処へ行きたいのか、自分が一番よくわからない、という状況になっております。
まー、なるよーになるんじゃないですかねー(無責任発言)
コレまでだってそうだったさ。
あ、ところでアリアンロッドルージュの件ですが、脳内で昨日色々文章が思いついたのは事実です。
多分書くことは出来るでしょう。
しかし4巻を読んで今の妄想が正しいのかどうか、それを見極めてからじゃないとにんともかんとも。
ところでルールを全然知らんのだが。アリアンロッド係に頼んでみるかなあ。GMやってくれーって。
「はとこはズルイにゅ」
木の上から降ってきた声に、エルフは舌打ちをする。
「何が」
「だって、さっきの、姉ちゃんに結論全部任せるってことっしょ?」
エルフは目を開けると、木を見上げた。グラスランナーの居場所はすぐに確認できる。グラスランナーが本気で隠れているわけではなかったし、エルフにとって森の木々は友達だったからだ。
「盗み聞きは趣味が悪いぞ」
「盗み聞きなんてしてないにゅ」
大して気を悪くした風でもなく、グラスランナーは答える。確かにエルフはグラスランナーが頭上に居ることを知っていた。そういう意味では、盗み聞きとは言わないかもしれない。かといって、聞かせたいわけでもなかったが。
「姉ちゃんが、はとこのコト好きだって結論付けたらどうするん?」
「言っただろう、断るさ」
「さっき認識しないうちに断っちゃってたにゅ」
「そうだな」
「んー」
グラスランナーは木の枝に二つ折りになるようにぶら下がり、顔をエルフに向ける。
「はとこは臆病だから、姉ちゃんが認識しないうちに芽を摘み取っちゃいたいのかもしれないけどさ」
「誰が臆病だ」
「確かに認識してないっていうのは無いのと同じだから、最良だと思ったのかもしれないけどー。だったら考えろとか言わんでほしかったにゅ」
エルフはグラスランナーの顔をまじまじと見る。
「ではどうするべきだったというのだ?」
「それははとこと姉ちゃんの問題だから、俺が何を言ってもしょうがないにゅ」
「お前何が言いたいんだ」
「んー」
グラスランナーはまた考えるような声をだし、それから器用に木の枝に寝そべる。
「俺はねえ、姉ちゃんのことが本当に好きなんにゅ」
「知ってる」
グラスランナーの、神官への熱の入れようといったら、それはもう、物凄いものがある。どうやら、グラスランナー自身はもっと手足が短いほうが本当は好みらしいのだが(種族的に考えて、当然かもしれないが)それをも凌駕する何かがあの神官にはあるらしい。エルフには全くそれが何だか分からないのだが。
「だから俺はさあ、姉ちゃんには幸せになってほしいにゅ」
「殊勝なことだ」
「だから姉ちゃんが、本当にはとこが好きだって結論だしたら、ちゃんとはとこには向き合ってほしいなあ、と思うのにゅ」
「だから、結論としては断るといってるではないか。クレアに幸せになってほしいんだろう? だとしたら、エルフであるわたしを選択するのは進められない」
「はとこのその理屈も分からないことは無いにゅ。でも、俺にとっての答えとしては、ぜんぜん認めらんない」
少しグラスランナーの声が低くなる。グラスランナーがそれなりに腹を立てているのだ、とエルフは理解した。
「ではどうしろというのだ? わたしに主義主張を曲げて恋人になれとでも言うのか? 人生に付き合ったとしてもせいぜい数十年、エルフには短いからな」
「そんな決着の付け方したら、俺ははとこの首を掻っ切る」
「クレアに幸せになってほしいんだろう?」
「だからにゅ」
エルフはそこで理解不能という意思表示のつもりで、顔を顰めて見せた。グラスランナーはそんなエルフを見て、わざとらしいため息をつく。
「はとこが、エルフとして人間の姉ちゃんを評価する今の思考を捨てて、スイフリーって個人としてクレア姉ちゃん個人を評価してほしい、って俺は言ってんの。エルフじゃなくて。人間じゃなくて。はとこが、姉ちゃんの性格だとか行動だとかで判断して、それでも好きくなれないって言うんだったら、それは仕方ないにゅ。エルフ同士や人間同士や、グラスランナー同士でもあることやもん」
グラスランナーの主張に、エルフは少しだけ黙る。
反論要素をいくつか考えてみたが、上手く頭の中でまとまらず、言葉として口から出すことはできなかった。
しばらくどちらも黙って、風が吹く音を聞いたり、草が揺れるのを見守る。
二人がどんな話をしていても、世界は変わらない。
「はとこはさ」
グラスランナーが不意にまた喋りだす。
「エルフっしょ。だから、姉ちゃんとの壁を越えられるにゅ。俺がどんなに頑張ったってぜーったいに越えられない種族の壁を、はとこは越えられちゃう。俺どんなにうらやましいか。不幸になるとかそんなの、後回し」
「後回しってお前、結構重要だぞ?」
エルフは意図的に後半の言葉にだけ返答をする。その間に、グラスランナーは木の上から飛び降りてきた。地面に着地するまでに一回転し、着地しても音はしなかった。
「種族を言い訳にすんのだけはやめて」
グラスランナーはエルフの顔をじっと見る。
エルフはそれでも返答しなかった。
「はとこ」
「何だ」
「俺ははとこのことも好きにゅ」
「何言ってるんだ?」
唐突に切り替わった言葉に、エルフは訝しげな顔でグラスランナーを見た。
「なんとなく言っとこうと思ったにゅ」
に、とグラスランナーは笑うと、「じゃあ、俺は部屋に戻るにゅ」と宣言し、建物のほうへ走っていった。相変わらず、すごい速さで。
「そうは言われてもなあ」
取り残されたエルフは呟くと空を見上げる。
自分が「エルフらしくない」などという評価をされているのは知っている。
が、そんなこと言われても自分はエルフであるし、事実「エルフらしくなくなった」のは人間の住む町に出てきてからだ。染められたことは別に後悔していない。
しかし、140年暮らしたエルフの村で染み付いた、その生活に対する基本的な考え方や価値観まで、すぐに切り替えられるわけもない。
単純に結論付けられる話じゃない。
「苦手ではあるが、嫌うほどでもない」
呟く。
言葉はシルフの背にのって、でも決して相手には届かない。
■火曜日にラブシックと泡ぽこの両方を更新したので、今回もそうしてみました。
順番を逆にして。
この話は本当に何処へ行くのでしょうね。
自分でもドキドキしながら(主につじつまがあうかどうかで)話を書いてます。
決めちゃうと、かけなくなるタイプなので(笑)
いや、勿論、はずしちゃいけないラインくらいは考えてあるんですけどね。
そのラインをどう走るかは決めてないので、書いてて楽しいです。
大木の傍の草の上に転がって、目を閉じる。
木漏れ日をまぶたの裏で感じる。
木々が風に葉を躍らせ、草がふわりと自分を包んでいく感覚。
その時間が好きだった。
自分は森の一部なのだ、と再認識する。
人の街は嫌いではない。まだまだ自分の見知らぬものがあると思うとそれだけで楽しい気分になる。
が、やはり、根本のところで自分は人の街に相容れないのだ、とこういうときに感じる。
仲間たちは何を言うかわかったものではないから、こういうことを言ったことはないし、多分これからも言うことはないだろう。自分の評価が、エルフとしては地を這っていることくらい、聞かなくても知っている。別に気にしないが、気分のいい事でもない。
暫く意識を森に同化させ、ただ精霊たちがささやきを交わしているのを感じ取る。
内容より、その行為が重要だから、別に会話に入ったりはしない。
ふわふわとした、なんとなく心地のいい時間。
半分眠っているのかもしれない。
と。
一直線に向かってくる足音がする。自分の命を狙っている相手なら、こんな足音を立てたりしない。こんな一直線に、堂々と、何の迷いもなく歩くわけがない。
この足音を知っている。だから別に警戒しない。
足音はすぐ傍で止まる。
ふわり、風が吹く。
エルフは片目だけ薄く開けて相手を確認する。予想通り、金色の髪をした神官が隣に座ってこちらを見ていた。
青味のかかった、深いグレーの瞳が一瞬だけ神官を見て閉じられる。
気にされていないのだ、と思う。
胸の奥が一瞬だけ冷たくなった気がした。
神官は暫らく、横になって目を瞑ったまま動きもしないエルフを観察する。
鋭い目も、閉じてしまえば威圧感を感じない。銀色の少し長めの髪が、木漏れ日を浴びてキラキラと輝いている。同じ色のまつげが、意外に長いことを知る。尖った顎のライン。白く抜けた肌。力を入れれば折ることができるのではないかと思えるほど華奢な体。
こうしてみてみれば、エルフが人外の美しさを持っているのを再認識できる。
ただ、普段はその鋭い目つきであるとか、邪悪な言葉も平気に口にするようなことがあいまって、感じられないだけだろう。
「何か用か?」
エルフが目を閉じたまま尋ねる。
「いえ、特には」
「さよか」
「私は、あなたのことが、好きなんだそうですよ」
「……は?」
神官の突然の言葉に、エルフは流石に目を開ける。
「私は、あなたのことが、好きなんだそうです」
「……」
呆けたような顔でまじまじとエルフは神官を見た。
「えっと、ちょっと待ってくれ、何が何だって?」
言いながらエルフは起き上がる。地面に胡坐をかいて、神官をまじまじと見た。その髪に草の欠片がついたままになっているが、気にならないようだ。
「私が、あなたのことを、好きなのだそうだ、と」
「何度も言われんでも、言葉としての意味は重々分かっているのだが」
エルフは左手で眉間の辺りを押さえ、右手を神官に見せる。待て、という意味だろうと神官は解して、暫らくエルフの言葉を待った。
「内容を理解しがたいというか……」
エルフは本当に混乱しているのだろう、と神官は思う。ずっと左手で眉間を押さえたままだ。いつもならすぐに言葉を吐き出す口から、まだ明確な言葉は出てこない。
「まず最初に聞いていいか? 何故伝聞形なのだ?」
「フィリスさんにそう言われました」
エルフはまじまじと神官を見た後、大きなため息をつく。
「無批判に受け入れるな、ちょっとは自分で考えてから口にしろ。あれは恋愛至上主義者で些細なことでも全て恋愛関係に話を持っていくんだぞ、ほとんど捏造と言ってもいい。他人が全員、真実だけを語ると思うな。あんたの人生これまでそうだったかもしれないが、基本的に他人は嘘をつく」
「人を疑うのはよくありません」
「あんたがそう言うのはよくわかっているし、美談としてとてもいい話だと思うが、とりあえず、知識として感情と切り離して覚えておけ」
エルフの言葉に、神官はすこし不服そうに眉を寄せる。
「では、私はあなたのことが、好きではないのでしょうか?」
「そんなの知るか。そういうのは自問自答して答えを出すものだ」
そこで神官は黙って、暫らくエルフの顔をまじまじと見つめる。
エルフは居心地が悪いのか、少しだけ後ずさった。
どうもこの意思の強い、曲がったことを許さない視線が、苦手だ。
「当事者に聞けば分かるかと思ったのですが」
「わたしは当事者ではない」
「相手として名が挙がっているのに?」
「それはクレアとフィリスの中でだけだろう? わたしは直接関係ないのだ、この場合」
言いながら、本当は仲間の神官やグラスランナーまでもが自分たちをくっつけようとしている、という事実は忘れることにする。
この辺を説明するとなると、余計にややこしい。
「そうなのですか」
「そうだ」
返事をすると、エルフは黙る。
神官も同じように黙った。
時折吹き抜けていく風に、神官は目を細めて髪を押さえたりするが、基本的に二人は動くこともせず、話す事もせず、ただ座ったままだった。
「ええと」
神官が口を開く。
正直、話はもう終わったものだと思い込んでいたエルフは内心驚きながら、視線だけを神官に向けた。
「私はどうしたらいいのでしょう」
「わたしに聞くなよ」
エルフは視線を神官からはずすと、ため息をついた。
「あなたは、先ほど自問自答して答えを出せといいました」
「言ったな」
「考えてみることにします」
「考えることについて、わたしが止める権利はない」
「結論が出たら、お伝えすべきですか?」
「そういうところも含めて自問自答すればいい。その上で言いたかったら言えばいいし、言う必要がないと思えば言わなければいい。そういうものだろう」
「そうですね」
神官は少し笑う。
「ただ」
エルフは神官を見ないままで言葉を続ける。
「クレアの結論がどういうところに落ち着くにせよ、わたしは多分首を縦に振らないと思う。エルフと人が幸せになれるわけがない」
「そんなの、やってみないとわかりませんよ」
神官の答えに、ああ、本当は自覚が無いだけでそれなりに答えは出ているのではないか、とエルフは気付くが、口にはしない。
そういうのは、放っておいてもそれこそ魔術師あたりが指摘するだろうし、そのうち本人もたどり着くだろう。
わざわざ、伝えるまでも無い。
「分かるさ」
「なぜですか?」
「時間が違う」
神官はエルフの答えに、眉を寄せた。
意味を考えているようにも見えるし、単に怒っているようにも見える。
「では、それも考慮に入れて考えてみます」
「せいぜい頑張ってくれ」
エルフは話は終わり、と言わんばかりに木にもたれるように横になると、再び目を閉じた。
しばらくたっても足音は聞こえなかったが、エルフは目を開けたりしない。何かいらないものを見そうだ、と思う。
と、突然暖かいものが手の甲に触れた。
「?」
目を細く開けると、隣に座ったままの神官が、エルフの手に触れている。
「何だ?」
「触ったら折れそうだな、と」
「折るなよ」
「折りません」
神官はむっとした顔で答えると、勢いをつけて立ち上がる。
「結論は必ず出します」
「わかった」
足早にエルフのもとから立ち去って、もうすっかり見えなくなったところで神官は足を止める。エルフに触れた右手をまじまじと見つめ、ゆっくりとその場に座り込む。
触ったら折れそうだと思ったのは事実。
が、それ以上に、単に触れてみたかった。
綺麗だ、と思ったから。
触れてみたい、と思ったから。
エルフの手はとても冷たかった。
それがとても印象的で、
何だか無性に悲しかった。
■スイフリーを美形として書いて、なんだかとてつもなく違和感を感じていたなんて公然の秘密だ。
エルフの手が冷たいという表記ですけどね。
確か2chのなりきり板で、ルーイさんの「リーダーは体温低そう」という発言と、それに対するグレゴリーさんの「エルフは長命ってことは、代謝が低いってことだから、体温低いのはありかもしれないねー」という返答がもとになってます。
なんか妙に納得したから。
さてこの話は何処へむかっているのでしょう。
廊下に出てすこし行ったところで、仲間の神官が呆れた顔をしているのに出くわす。
「分かってるわよ、そんなの。……立ち聞きなんて趣味悪いわよ」
「聞こえただけです」
神官は済ました顔で答えると彼女に肩をすくめて見せた。
「ただ、あの子の場合、相手に任せておいても、ぜーったいに前に進まないから」
「そういうのが余計だというのですよ」
彼女の返答に、神官は再び呆れたように言うとこれ見よがしにためいきをつく。
「押していけばどうにかなるというのが幻想だということくらい、貴女自分のことでわかってるでしょう?」
「うるさいわよ」
キツイ眼差しで彼女は神官を睨む。音がつくとしたら「ギッ」というような視線に、神官はすこし後ずさった。
「ちょっと話を聞いただけじゃない」
「そしてクレアさんをたきつけて、スイフリーに迫らせる、と。スイフリーはアーチーと性質が似てますから、押してもだめだと思いますけど」
神官は冷めた目で彼女を見た。
「あんたそんなに冷静に観察できるなら、自分のことも観察すれば? ラーダのあの子も振り向いてくれるかもよ?」
「うるさいですよ」
彼女の思わぬ反撃に、神官は引きつった顔で答える。
「ともかく、私はクレアとお喋りしただけよ」
彼女はにっこりと笑いかける。その笑顔が、おもちゃを前にした子どものそれとよく似てる、などとは神官は言わない。言ったりしない。怖い。
「クレアさん、許容範囲を超えてたみたいですけど?」
「邪魔はしてないわよ。多分」
「多分、ね」
ははは、と神官は乾いた笑い声を上げる。
彼女はいつだってこういうことに関してちょっと出力が大きめだ。そのせいで、本人が思うような結果が出てないのだが、まあ、黙っておく。
「押し切らせるつもりなら本人、受け入れ態勢を整えてあげるつもりなら彼をつつくといいですよ」
「なによ、なんだかんだ言って口を出すつもり満々なんじゃない」
彼女が呆れた声をあげると、神官は真意のうかがい知れない笑みを浮かべ答える。
「おもしろそうですし……人が幸せになるのは良いことですよ。……あんまりやり過ぎないようにしてくださいね」
「グイズノーはどう思う?」
「何がですか?」
「スイフリーとクレア」
「理屈が先行して実際が伴わない思春期真っ只中のガキと、純真を通り越して鈍感にも程がある女性の、かみ合わないことこの上ない、見てる分には喜劇的な二人組み」
さらりと酷評してみせる神官に、彼女は呆れきった目を向ける。
「二人とも、純粋培養ですからね。かみ合わないのは当然なのかもしれませんが」
言いつくろうつもりなのか、それとも説明するつもりなのか、ともかくよく分からない言葉を神官は付け加えた。
「純粋培養?」
あのエルフのどこに純粋なところがあっただろうか、と彼女はすこし考える。
「スイフリーはあれで根っこはかなり純粋にエルフですよ? 見える範囲はほとんど人間というかダークエルフというか、ともかくエルフっぽくはないですけど。自分の種族がどういう位置づけなのか、ちゃんと分かってるというか……。無茶とかしたがらないでしょ? エルフとしては型破りかもしれませんけどね、我々と比べるとやっぱり保守的ですよ」
「まあ、言われればそうかもしれないけど」
そういえば、グラスランナーもエルフを似たように評価していたな、と彼女は思う。
「クレアさんはいつから神殿に住み込んでいるのかは知りませんけど、かなりまっとうなファリス神官です。良いと悪いの二極しかなくて、どちらでもない、というような考えをしないですし。特に彼らファリス神官は教義を守るのが第一で、他人の心に鈍感になりやすいんです」
「アンタも似たようなもんだとおもうけど」
「わたくしも真理を得るために様々なことに没頭してますからね、順序がおかしくなることもあるでしょう」
「褒めたつもりはないわよ」
胸を張る神官に冷たく言い放ち、彼女はため息をつく。
「あの子が多少他人の気持ちに鈍感なのは認めるわ。最初に会ったときなんて、特にそうだったし」
「だいぶ丸くなりましたよね」
「でも自分の気持ちにまで鈍感なのってどうなの?」
「それが個性ってもんじゃないですかね。自分の気持ちに正直すぎる人だとか、自分の気持ちを捻じ曲げて理解してる人だとか、自分の気持ちに鈍感である人だとか、自分の気持ちを理性で押さえつけてる人だとか、色々ですよ。だからこそ、わたくしは見ていておもしろいのですけど」
ふふふ、と笑って見せる神官に、彼女は誰のことを言っているのか尋ねるのはやめておくことにする。
「あなたとアーチーのことは時間が解決するかもしれないですけどね、スイフリーとクレアさんに必要なのは時間じゃないですよ」
「自覚? 信頼? 相互理解?」
「そういうのも、勿論必要ですけどね。その辺は前提条件では?」
「じゃあ、何?」
「覚悟」
神官の答えに、彼女は眉を寄せる。
「それこそ前提条件じゃない」
「ええ、そうですよ。その上で、彼らには究極の命題ですよ」
そこで神官は、久しぶりに神官らしい顔をする。
「十年もすれば、嫌でも時間が種族の違いを突きつけてきます。変わってしまう相手に、変わらない相手に、代わってしまう自分に、変わらない自分に、最後まで耐えられるか」
神官はそこで彼女を見た。
「互いに未知の領域ですからね、保障なんてないんです。スイフリーが、不確定なことを嫌いなのはご存知でしょう?」
彼女は頷く。
「ですから、無責任なことはしてはいけないんです」
「……うん」
彼女は少しうなだれる。
もしかしたら、あの子に悪いことをしたかもしれない。
「ただ」
そこで神官はにやりと笑う。
「あれでスイフリーは情に弱いところがありますし、やるとなったら徹底的ですからね、いざ心を決めてしまえば相手を大事にするタイプだと思いますよ。我々は本人たちに気付かれないところでそーっと見守っていればいいんですよ」
■グイズノーは、時と場合によって、本当に邪悪だったり、すごい聖人だったりしてなかなかにして面白いひとですよね。
今回は聖人バージョンで(笑)
書庫内のひんやりした空気が彼女は好きだった。
もらった城は、そもそもは狩猟時にのみ使う別荘だったような場所だったから、もちろん書庫は改装してつくったものだ。が、中々の出来だ、と彼女は思っている。
書庫というだけあって、この部屋に窓は無い。ろうそくの明かりのような頼りない光で本を探すのは面倒だから、彼女はライトの呪文で部屋を明るくする。同じように考えたものは他にも居るらしく、書庫の入り口にはライトのコモンルーンと数個の魔晶石が籠に入れておいてある。いつから置かれているのかなんて、知らない。気づいたときには置かれていた。防犯のぼの字も無いような状況だが、問題は無いだろう。ここがアノスだといっても、勿論盗賊くらいはいる。が、この城にわざわざ乗り込んでくるような物好きの盗賊はそうそういないだろう。まあ、もっとも、彼女にはこれを使う必要は全く無いのだが。
書庫内で、彼女は目当ての場所に程なくたどり着く。本はきちんと整理されていて、非常に探しやすい。名代の神官が丁寧に片付けてくれているのだろう。本当にありがたく、そして。
「気の毒だわ」
彼女は呟くと、暫くその場にとどまって何冊かの本を抜き取ると内容を吟味し始める。
あまりメジャーな話題ではないものを調べるつもりでいるから、本は数冊必要になるだろう。話題が載っているだけマシだと思うしかない。
と、書庫の扉が開く音がした。
彼女はページをめくるのをやめて、暫く足音に耳を澄ます。
あまり聞きなれない足音ではある。しかし侵入者だとすれば足音を立てはしないだろうから、あまり緊張する事も無いだろう。
足音はいったん彼女がいる場所を通り過ぎようとして、戻ってきてとまる。
「フィリスさんでしたか」
「あら、クレア」
通路から顔を覗かせた神官を見て、自分の警戒した顔つきが一気に戻るのが分かる。向こうも似たようなものだったのか、すぐに少し笑って見せた。
「お仕事?」
「いくつか資料を頼まれまして」
神官は手にしたメモを彼女に見えるように少し掲げて見せた。
「アーチー?」
「ええ」
「私に頼んでくれればいいのに」
彼女は口を尖らせると、腹いせといわんばかりに必要ではなかった本を本棚に突き刺す。
「では、もって行くときは一緒に行きますか?」
「そうする」
苦笑する神官に即答して、彼女は本を抱えると神官の元へ向かう。
「さがすの手伝おうか?」
「ありがとうございます」
神官は少し考えてから、頷きながら返答する。メモを覗くとかなりの量の本が書かれていた。
「アーチーったら、女の子を何だと思ってるのかしら」
「仕事って、そういうものですよ」
彼女の感想に神官はとりなすようにいう。
確かに彼は非力だ。幾らその剣技が大陸中に広がっていようが、非力なものは非力なのだ。そこは認める。しかしだからと言ってこんな量を頼まなくてもいい。
「何回かに分けて運びますし」
「うん、そうよねえ、わかってるんだけど。後で怒鳴っとく」
暫く二人で本を探す。
メモの本は多かったが、基本的に似たような位置に配置されているものだったので、大した苦労をせず本を発見できた。しかし、最後の一冊が中々見つからない。ソレらしいものを入れている棚に二人で張り付き、探すが見つからない。
「そうだ」
一度休憩、という事にして彼女は神官に声をかける。ちょうど下のほうを探していた神官は、しゃがんだまま彼女を見上げた。
神官の、真っ直ぐな視線であるとか、少しきつそうな顔つきだとかは変わらないが、それでも雰囲気は丸くなった、と彼女は感じる。
恋って偉大だわ、自覚のあるなし関係なく。
「ねえ」
「なんですか」
「スイフリーと、その後どう?」
「その後、といいますと?」
神官は立ち上がると首を傾げて見せた。確かに唐突な質問ではあったけど、もう少し何かリアクションがあってもよさそうなものなのに、と彼女は思う。
「何かあったりしないの?」
「特には」
先日オランで会ったときのグラスランナーやエルフの口ぶりから、二人が仲間内でもっともこの城に戻ってきていることは分かっている。
が、それはやはり情報収集のためだけだったのだろうか。
確かにエルフは人間との恋愛など絶対にしないと言っていたし、そういうものなのかもしれない。
グラスランナーが喧しく帰ることを主張すれば、戻ってくるのかも知れない。
「んー、そっかー」
とりあえず彼女は相槌だけ打つ。どうやって聞き出すのが効果的だろうか。
「スイフリーのこと、どう思う?」
色々考えた挙句、結局ストレートに尋ねる事にした。この神官は良くも悪くも真っ直ぐで、きちんと尋ねた事には答えが返ってくる。それが分からないことであれば、わからない、ときちんと返す、そういう人だ。
「そうですねえ」
暫く神官は考えこみ、やがて口を開く。
「口に反して、優しいです」
答えに、彼女はまじまじと神官を見つめる。どう返事をすればいいのだろう。神官のほうもどうしていいのか彼女を見つめている。何か言わねば。
「ええと、それ、本人に言った事は?」
「ないですけど」
「どうして?」
「聞かれてませんから」
そうきたか、と彼女は内心ため息をつく。聞かれさえすれば、彼女はストレートにその感情を口にするのだ。当のエルフが聞いたら卒倒するかもしれないような評価を、何の臆面もなく。
「どうして、優しいなんて思ったの?」
何とか、それでも彼女は尋ねる。あのエルフとは仲間になって随分長くなってきたが、彼女の中の評価で優しい、となったことはほとんど無い。確かに頭の回転の速さであるとか、その口の達者ぶりに助けられた事は多々ある。冷静に考えれば、自分たちの評価の大半はそもそもはあのエルフが作ったようなものだ。エルフが仲間でよかった、と思っている。
が、優しいと思ったことは、何度考えても、ほぼ、ない。
全く無い、とならないだけマシなのかもしれないが。
「パラサさんが、色々話を聞かせてくださるんです。コレまでどんな冒険をしたか、とか。パラサさんが大活躍で」
「そこは話半分に聞いていいわよ」
彼女の合いの手に、神官は少しだけ笑って続ける。
「その中で話を聞いていると、スイフリーさんは優しいですよ」
「どこが」
「悪徳商人を最終的に助けたり、トップを助けたり、ワイトに怒りを感じたり、マーマンを助けに行こうといったり」
「ああ、うん、そうね」
そういう風に並べられると、確かに優しいような気がしてきた。
着眼点が違うということだろうか。
「多分口の悪さは、照れ隠しなんでしょうね。まあ、確かに時々とても邪悪な事も言うのは事実ですけど。……おおむね、本質は善人です」
仲間の女剣士からもたらされた情報と同じことを、目の前の神官が口にする。
この言葉をじかに聴きたかった。
目論みはほぼ成功、と言っていい。
彼女はにっこりと神官に笑ってみせる。
「スイフリーのこと、好きなのね」
「は?」
心底、何を言われているのかわからない、という顔で神官が彼女に聞き返す。とはいえ、こういう反応は大体予想していたから、彼女は慌てない。
「だから、スイフリーのこと、好きなんでしょ?」
言われた神官のほうは、予想外の言葉に混乱しているようだった。動きが止まり、ただただ呆けた顔を彼女に向けている。思考は完全に止まっているのだろう。
そういう焦り方が可愛い、と彼女は思う。
「ええと、わたしが、スイフリーさんを好きなんですか?」
「じゃないの?」
おかしな質問だ、と彼女は思うが、とりあえず即答する。こういうのは躊躇してはいけない。
目の前の神官は、右手で額を押さえ少しうつむき加減で何かを考えているような、そのくせ全ての思考がストップしたままのような顔をしたまま、暫くの間動かないで居た。
彼女は神官からの返答をただひたすらに待つ。
「あの」
神官は酷く困ったような切羽詰ったような表情で彼女をみた。
「何?」
「すき、って、どんな感情でしょうか?」
「は?」
あまりに遠い方向からの攻撃に、流石に彼女も間抜けな返事をしてしまう。
間違いなく、目の前の神官は真面目な神官で質問している。
「あ、いえ、その、好き嫌い、という感情は勿論分かるんです。けど、特別誰かだけを好きである、というのはどういう感じですか?」
「今まで一回も無いの!?」
思わず聞き返す。
可能性は二つ。
本当に誰も特別好きになった事がないか、もしくは特別好きであることに気づかなかったのか。どちらにせよ、この子は重症なのではないだろうか。鈍感にもほどがある、というか。
そういえばあんまり外見であるとかに頓着ある感じでもないし(美人なのにもったいない話だ)好き嫌いよりは善不善のほうが重要な感情である気がしないでもないが。
しかし改めて、誰かを特別好きである、ということを説明するとなると、どう答えていいものやら。
そういうのは理屈じゃない。
「んー」
彼女は暫く首をかしげたまま動きを止める。
彼女はアーチーが好きだ。
さて、どこが好きだったのか考えてみよう。
家柄。
「えぇーとねえ」
スタートは悪かった。でもその後色々可愛いところだとか情けないところだとか、全てひっくるめていとしいと思うようになったような。
認められたり、頼られたり、助けられたりして嬉しかった。
「誰かの事だけを、特別に感じる事。その人のために、何かをしてあげたい、って思うこと」
「……」
「……かな?」
自信がなくなって、最後はごまかすように笑って言うと首を傾げてみせる。その様子をまじまじと見つめていた神官は、小さくため息をついて見せた。
「わかるようなわからないような」
「うん、だって」
彼女は指を神官の額にまず持っていく。
「頭じゃなくて」
それから指を胸元に移動させる。
「ここで感じる事だから」
神官はまじまじと彼女の指先を見て、それからのろのろと視線を彼女の顔まで持っていく。
「私はスイフリーさんを好きなんですか?」
「それはクレアが決めることだから」
答えて、ふと視線を本棚に向ける。
アレだけ探して見つからなかった最後の一冊が、目の中に飛び込んできた。
「本、あったわ。私持っていくから。アーチーとお喋りしたいし」
「ええと」
「仕事の話でも、他の女の子と喋ってるのをみるのは、あんまり嬉しくないのよ」
ふふ、と笑って見せ、彼女は神官から残りの本を受け取る。
「ま、ゆっくり感じてみるのも、いいんじゃないかしら?」
それだけ伝えると、軽い足取りで書庫を後にする。
残された神官は、力が抜けたように床に座り込むと放心したような顔で天井を見上げた。
考えてみる。
特別に感じた事は?
何かをしてあげたいと感じた事は?
ないわけではない。
でもそれは、自分の信心から来るものだと信じていた。
神から与えられた試練だと。
確かに嫌いではない。
でも、他の面々も嫌いではない。
その感情に差があるなんて考えた事もなかった。
「……良く分からない」
■何を書いてるんだか分からなくなってきました(笑)
クレアさんはそこまで鈍感ではないんじゃないだろうかと思わないでもない。本当は。
盛り上げ?るため?に鈍感で居てもらいます。