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ノックの音にドアを開けると予想外の人物が立っていて、彼女は思わず動きを止める。
「……何だ」
そんな彼女にノックの主は居心地の悪そうな声をあげた。
「帰ってきてはいけないのか」
「いえ、そんなことは。……おかえりなさい」
「……ただいま」
不機嫌そうな声だが、返事があっただけましかもしれない、と彼女は思いながら続ける。
「ただ、少し驚いてしまって」
「驚く? 何に」
「いえ、あなたが帰ってくる時は、大抵パラサさんが一緒なので……お一人なので少し驚いてしまいました」
「……はとこの子なら、麓の村だ。買いたいものがあるらしい。半日もすればくるだろう。……待ってるのも阿呆らしいから先に来た」
「そうですか」
「だから入れろ」
その言葉に、クレアは自分がいまだ開いたドアの前に突っ立ったままで、この城の主(といっても6分の1)を城に入れていないことに気がついた。
「……ぼんやりするにも程がある」
舌打ちせんばかりの口調でいうと、ノックの主――スイフリーはずかずかと大股で廊下を歩いて奥へ向かっていく。
「すみません」
小声であやまると、クレアは少し遅れてその後を追う。
城の中央にある広間についたところで、スイフリーは立ち止まると振り返った。
「屋上の鍵、貸してくれないか」
「屋上? なぜです?」
「シルフを支配しておきたい」
意味がよくわからない、とクレアが言う前にスイフリーは付け加えるように言葉を続けた。
「先日シルフを入れておいたネックレスを壊された。接敵状態で生きてただけマシだが。やはりエルフは先手必勝だ」
「……そうなんですか」
答えながらも良くはわからない。
「しかしなぜ屋上なのですか?」
「庭でリズとトップが駆け回っていた。襲われないのは分かっているが、虎が駆け回ってる中他に神経を集中させながら立ち続けるほど、わたしは神経が図太くはない」
……なにが神経が図太くないだ、とクレアは思ったが、それは言わないでおく。
「少し待っていてください。鍵を持ってきます」
執務室に置いてある鍵を持って、再び広間に向かう。スイフリーは立ったまま待っていた。クレアが来るのを見ると、手を差し出す。鍵をよこせ、という事だろう。
「あの」
クレアは鍵を手渡しながらスイフリーに声をかける。クレアは、基本的に小柄であるエルフの目線は、自分とそれほどかわらないのだな、と久々にまじまじと顔を見ながら思う。
「何だ」
まじまじと顔を見られても動じない辺りが彼らしい。
「見ていていいですか?」
「何を」
「あなたが精霊魔法を使うところをです」
「見たことくらいあるだろう」
「少しだけ。しかし大抵は戦闘中でゆっくり見たことがありません」
「見てどうする」
「別に」
スイフリーは暫くクレアの顔をまじまじと見た後、大きく息を吐いた。
教義にかこつけて深く物を考えようとしないのがファリスの信徒の悪いところだ、と彼個人は考えている。であるから、ファリスの教義にガチガチに固まっていたときのクレアを思えば、自ら何かを知るために動こうとしただけでも進歩ではないか、と思う。
「見る権利を奪う権利はわたしにはない」
それだけ答えるとスイフリーはさっさと歩き始める。クレアも後に続いた。否定されないということは、この場合肯定ととって良いだろう。
屋上に出てすぐのところを指差すと、スイフリーは無言でそのまま歩いていく。つまりこの辺りに立って見ている分にはかまわないという事だろう。クレアは指差された辺りで、手を後ろに組んで立つ。午後の日差しは穏やかで、風はほとんど無かった。
スイフリーはクレアからそれほど離れていない場所に、彼女に背を向けるように立ったまま片手をなにやら動かし始める。何事かを呟く「音」が聞こえる。そのうちふわりと風が吹き出した。
風は彼を中心に暫く吹き続ける。どうやらゆるく渦を巻いているようだ。彼の銀の髪やマントがはためいている。
やがて風がやむと、彼はクレアのほうへ戻ってきた。
「終わったのですか?」
「終わった」
「……今のは、精霊魔法なのですよね?」
「そうだ」
「何か喋っていたのは、精霊語……でしたっけ?」
クレアは断片的な記憶から尋ねる。
「そうだ」
「綺麗な音でした」
「音?」
スイフリーは少し首を傾げる。彼にしてみれば今の契約で発声した声は全て意味のある言葉である。いや、概念かもしれない。どちらにせよ意味があるものであり、音と表現されたのは意外だった。
「なにやら……わたしには発音できそうにないというか」
クレアは苦笑しながら答える。
「それはそうだろうな。お前は精霊が見えないのだから」
当たり前だ、という表情で彼は言う。
「精霊が見えるのは、どんな感じですか?」
「見えない状態を知らないから、答えられない。お前が言う神がわたしに理解できないのと、大差はないだろう」
「そうかもしれませんね」
クレアは空を見上げる。
自分は世界には神の栄光が満ちていると思っているが、彼にはソレが理解できない。
彼は世界には精霊が居て力を貸してくれる友達だと言うが、わたしにはソレが理解できない。
「でも、あなたが精霊と交わした言葉は、綺麗だと思いました」
「わたしも神は信じないが、その奇蹟の力は信じてもいい」
彼の言葉は、単に神聖魔法のことをさしているのだろう。しかし、多少面食らったのは事実で、同時になにか嬉しかった。
「あなたは」
クレアはスイフリーの顔を見る。
いつもどおり、その目は世界の全てを疑ったようなまなざしで、口は不機嫌そうにへの字に曲がっている。
ただ、邪悪だと判じたときよりは、どこと無く柔らかくなったとも思える。
思いたいだけかも知れないが。
「エルフですよね」
「今更何だ」
「スイフリー、という名前はそのままなのですか?」
「……どういう意味だ」
「ええと、つまり」
クレアは少し考える。どう伝えれば良いだろう。
「先ほどの精霊語のように、実は別の発音があるとか」
「ああ、そういう意味か。村に居た時は共通語よりはエルフ語で話すことのほうが多かったから、まあ、そういう意味では多少違う響きにはなるかもしれない」
「どういう感じですか?」
「 」
彼の口が動く。
声がつむがれる。
でも、クレアにとってそれはやはり意味のある音には聞こえなかった。
「……もう一度お願いします」
「 」
「駄目です、やはり意味のある音に聞こえません。どこと無くスイフリーという音には似ている気がしますが」
「そりゃ似てるだろう、共通語の一番似た音に当てはめるとスイフリーになるのだから」
「変な気分ではないですか?」
「慣れた」
答えると、彼は座り込む。立ち話に疲れたのかもしれない。
クレアも隣に座ると、スイフリーの顔を覗き込む。
「もう一度お願いできますか?」
「物好きな」
言いながらも、スイフリーはまたエルフの言葉で自分の名前をつむぐ。
クレアが自分の口元を熱心に見ているのが何かおかしくて仕方がない。
「……で、こんなに聞いてどうするつもりだ」
「言えたら良いなと思いまして」
何を言っているのだこの女は。
何を言うときもストレートでどうする。
照れを通り越して呆れてしまう。
「一音ずつさらうほうがいいだろう。 の発音だが」
スイフリーはそういうとクレアに向き直る。
「とりあえず共通語で、ス、の発音」
「ス」
「そのまま」
言うと、スイフリーは突然クレアの口を横に引っ張った。
「何するんですか!」
手を払いのけてスイフリーを睨む。
「口と舌の使い方が違うんだから、物理的に歪めたほうが理解が早い。はい、ス」
「……ス」
また手が伸びてきて、クレアの口を横に引っ張る。
「この状態でスとイの間の発音」
無茶を言う。
「……出来ません」
今度は指をやんわりとはずさせてからクレアは答える。
「それより……本当にコレで出来るんですか?」
「わたしは120年くらい前に共通語を覚えるとき似たようなことを長老にされたぞ」
「……120年」
流れている時間の圧倒的な差に、クレアは少し眩暈を覚える。
これからも、その膨大な時間を彼は生きていく。
自分を含め、今仲間である全員の命が尽きた後も。
知り合っていた時間など、彼にしたらほんの一瞬で。
「ええと、スを言いながら口を横に広げてスとイの間でしたね」
「そんなに必死にならんでも……」
「時間は有限です」
「……」
スイフリーは暫く呆れたような顔でクレアを見ていたが、やがて諦めたかのような大きなため息をつくと、再びクレアの口を横に引っ張った。
「何か違う……。 と言えそうで言えてないな」
「簡単に発音するあなたには分かりませんよ……」
クレアはひりひりする頬をさすりながら答える。この程度の痛みであれば、魔法で癒すまでもない。
「いや、最初に比べれば随分マシになった」
いたって真顔でスイフリーは答える。
「なんというか……したか?」
「は?」
「もう一度」
「はあ……」
クレアはあいまいに返事をすると、また何だかよく分からない「ス」の発音をする。口を横に引っ張るようにあけるのには漸く慣れてきた。
「そのまま」
スイフリーは言ったかと思うと、何の警告もためらいもないまま、唐突にクレアの口に指を入れて舌を思いっきり下に向かって押した。
表情に変化がまったくないことから、何とも思っていないのがよく分かる。
しかし、クレアは内心ひどくあせった。
舌を押されたことで、かなり苦しい。無理やり吐く必要があるわけでもなんでもないのに、吐きそうになる。
しかも口の中にあるのは、スイフリーの指だ。
他意があるわけでもなんでもないのに、卑猥な感じがするのはなぜだろう。
「 」
息がもれると、不思議な音がした。
「あ、今の音だな」
ひどく事務的な声でスイフリーが言う。
「何もなしで言えるか?」
「ええと……」
こちらはまだなんとなく口の中に指の感触が残っていて、内心かなり動揺しているのに、スイフリーがあまりに冷静かつ事務的なのに腹が立つ。
「 」
意外とすんなりと音が出た。
「ほぉ」
予想外に感嘆の声がスイフリーから上がり、少し嬉しくなる。
「じゃあ、あとは だな」
「先は長そうですね……」
「やめるか?」
「いえ」
その後も何度か口を引っ張られたり舌を押されたりしたが、それでもコツはつかめてきた。後ろのほうの音になるに従って、発音できるまでの時間が短くなってくる。
思えば当然かもしれない。普段の言葉として使われている言葉なのだ、あまりにおかしな口使いばかりでもない。
しかも、覚えるのはたった1つの単語、音にして4つだ。
始めてからどのくらいの時間がたったのだろうか、今や空は青空ではなく紅に染まっている。
「 」
漸く、何とか言葉が様になる。
「もう一回」
「 」
「うん、まあ、合格点だろう」
言うが、スイフリーの視線はあまりクレアを見ていない。空のほうに向けられ、すこし遠い目をしている。
「ありがとうございました」
「礼を言われるほどのことでもない」
視線はこちらを向けないまま、スイフリーはぼそりと答える。
「いえ、ありがとうございました、 」
もう一度礼を言いながら、エルフの発音で彼の名を呼ぶ。
ピクリと、彼の長い耳が動いた。
「……クレア」
「なんでしょう」
「その発音でわたしを呼ぶな」
彼は言うと、立ち上がり大きく伸びをする。クレアもつられて立ち上がった。
ずっと座っていたせいか、少し足が痛い。
「なぜですか? 里心でもつきましたか?」
「……」
スイフリーはクレアの顔を一瞬呆けたような顔で見て、それからしかめっ面になる。
「自分で考えろ、 」
早口でそういうと、スイフリーはさっさと歩き出す。
取り残されて、クレアはしばし立ち尽くす。
彼の言葉の最後に、ふわりと付け加えられたエルフ語。
ちゃんと聞き取れた。
それは彼女の名前。
ああ、そうか。
クレアは思う。
体から力が抜けたように、その場に座り込む。
確かに
これはちょっと、
……照れくさい。
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■おまけ
「はとこ、屋上で姉ちゃんと何してたにゅ?」
「別に」
「口に指入れて『別に』はないっしょ」
「……覗き見とは趣味が悪いぞはとこの子よ」
「あれ、何のプレイ?」
「何がプレイかっ! はとこの子の玄孫ぉ!!!」
蹴り飛ばそうとしても避けられるスイフリーさん。
■あー、妙にいちゃいちゃさせちゃったよ、失敗失敗。
ちなみに、パラサはクレアさんへのお土産という名のプレゼント(お花とか)をご購入のために麓の村に滞在してました。
ちゃんとプレゼントをして、御礼を言ってもらいましたよ。
ところで、発音を覚えるのはネイティブの人に舌とか押さえてもらうと早いってどっかで聞いたような気がするんですけど、本当なんでしょうか。
2007/02/21